フォカイヤのギリシャ人、次にローマ人が、古代に葡萄をローヌ地方に導入し
、そうしてタヴェルのテロワールが直ぐに葡萄栽培に適していることが判りました。ガロ・ロマン時代の豊かなドメーヌの発掘調査によって、圧搾されて堆積された葡萄の種子が発見され、ワインが定期的に生産されていたことを証拠立てています。
野蛮人の侵入という暗いエピソードのあと、中世初期の農村地帯のルネッサン ス時代となり、当地に数多く創設された様々な僧院が、より良い葡萄耕地を求めて土地売買に関与していた形跡があります。
16世紀以降には多くの古記録があり、歴史家によって、著しいワイナリの進 展の跡が明らかになりました。1636年の土地台帳によれば、当時の農民は、既に穀物栽培から、葡萄栽 培(営利的農業)に移行しており、これはフランスの農業史から見て、二世紀ほど他に先んじています。
   
そうして、タヴェルの名が確立します。アヴィニョン法王庁につぎ、ローマがタヴェル・ワインに魅せられ、フランス王侯貴族も好み始めます。その取引は、ローヌ河が利用されて、ブルゴーニュ、パリに至り北方ではオランダに及び、南ではイタリア君主諸国にまで及びます。タヴェルの名は銘醸ワインというイメージを与え、税務局も関心を示します。
”タヴェルの住民は、商工業は無いが、高品質の故に人気のあるワインの販売によって生計を立てている”と1734年の人頭税目録に記されています。 1734年度人頭税目録から。
19世紀になると、タヴェル地方はもっと繁栄し、新興ブルジョワジーの求めに推されて、タヴェルは、高級品のカタログに加えられます。1870年代葡萄畑を壊滅させたフィロキセラ害の後、再起し、生産者はたゆまずに、切り札ともいえる自然の恵みと名声を守り続けてきたのです。
1902年には他に先駆けて、タヴェル地方に、最初の利益保護のための共同委員会が出現します。長期間の働きかけ(係争)の後、これらの熱心で辛抱強い生産者達は、1928年には、生産統制呼称:アペラシオン・タヴェルを獲得します。そうして、1936年に、INAO(国立原産地統制名称委員会)が創設されたため、AOCを得ます。
 
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ニシアティヴ精神、自らのテロワールとワインへの恒常的な愛情と信頼、こうした美質こそが、継続的にタヴェル・ワイン生産者に、国際的な名声をもたらしたのです。
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